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昔の佐奈川は姫街道との交差地点(現在の金屋橋)で川幅1.5間(2.7m)で、
桜町近辺から細くってなって、河口に近づくと、また少し広くなると言う今では考えられない
「不思議な川」でした。大雨が降れば下流域に甚大な被害を与えていました。
その川も海軍工廠の建設と同時に河川改修(河口から)が始まったそうです。
軍部が政治を支配してましたから、海軍の御威光は凄いものです!
昭和18年陸軍の意向で、小坂井に住友金属が50haのが軍需工場を開設しましたが
佐奈川河口を改修して生産物(ジュラルミン)を輸送する港湾化も検討していたそうです。
海軍工廠の初期は佐奈川に接する部分は無かったので、工廠周囲の壕の排水は全て白川へ流されていました。
それを可能にしたのが昭和8年に竣工した音羽川の河川改修で、その時に西古瀬川と白川が音羽川と接続されて、工廠の排水
が三河湾へ直行することとなった。この河川改修が無ければ工廠の豊川開設は無かったのかも?
昭和15年以前(海軍工廠建設前)の
音羽川・佐奈川・白川・西古瀬川の流路
※工廠建設地本野原は家も無く、広い原野となっている。
旧東海道の桜町辺りで細くなっている。
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昭和15年の地図から(豊川海軍工廠の初期エリア建設時)
西古瀬川と白川は昭和初期に音羽川へ接続していた。佐奈川は昭和14年工廠建設と
同時に河口部分から改修が始まったが、まだ工廠まで改修は進んでおらず小川状態
ままだった。
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昭和25年の地図(荒古橋まで改修されているのがわかる。)
佐奈川が川幅を広げ、直線的に改修され三河湾へ接続された。
戦後の昭和28年、佐奈川に一宮の土々川と帯川を接続して河川整備は完了した。
海軍工廠は爆撃により建物が少なくなっているのがわかる。まだ爆撃のままでした。

伊奈と表示されている所が陸軍軍需工場(住友金属)で航空機関連の部品を作った。
この工場は住友金属工業豊橋製作所として昭和18年7月に新設された。
西小坂井駅は未だありません。住友金属は東海道線からの引き込み線を作り物資
の搬入をしていた。
佐奈川の巾を調べた!
慌てて掘ったのか、流量を計算しなかったのかわからないが
上流から下流まで幅が変わらない。
集中豪雨が有ったらひとたまりもない。堤防を越すか、決壊さ
せるかわからないが、とにかく大被害は間違いない。
下流に行けば行くほど堤防から川面までが近くなる。これも
今回の調査でよくわかった。
おまけに、上流部は河川敷が公園化していて綺麗だか、下流
に行くほど雑草林となっており、当然大水では流れが悪くなり
滞留する。危険がより増すから、下流部も公園化が必要かも?











旧東海道 53歩

何橋かな
