工廠のコーナーへ
名古屋大学豊川フィールドは戦後名古屋大学が空電の研究用に取得(借りた?)
した土地です。空電研究(雷)だったので、GHQ(マッカーサー)も米軍に活用可能と
考え、工廠跡地の活用第一号として許可しました。名古屋大学は若干の研究用に
土地を利用し、残った土地は旧工廠被爆を伝える痕跡を多数残しました。
この戦争遺跡は年に数回見学をすることができます。
今年度は12月21日、1月18日、2月6日、2月23日の4日間開催します。希望者は
13時までに豊川平和公園内の平和交流館にお集まり下さい。
第二火薬庫 平和公園内の第一火薬庫と全く同じ形状です。 名大の倉庫のようになっています。壁には爆撃の傷かせ残ってます。 |
被弾の痕跡 |
太陽風研究用アンテナ |
パラボナアンテナの説明 |
第三火薬庫の扉にはムスタング戦闘機の機銃の痕が残る。 |
本野原の面影を感じる道 |
原料置場・・この前に爆弾穴が残っている。 500ポンド爆弾の痕が生々しい この原料置場から東側へ窒化鉛を製造に関連する施設があった。 この建物はコンクリートや鉄筋不足なのか煉瓦作りとなっている。 |
工廠で使っていた便所 この便所は水洗式となっており、便器の下には土管が通っている。 浄化槽は無かったようで、排泄物は川へ流された。 当時を知る方は「川が臭くて子供が遊べなくなった」と言ってます。 |
便器の下には、汚水を流す土管が今も残っている。 |
着弾穴 直径8m、深さ2m こちらのネジまがった鉄は、第十五配電所の残骸 |
第三窒化鉛製造場 直撃弾を受け建物は、完全に破壊されている。 土塁で隔てられて、第四窒化鉛製造場があった。 ※窒化鉛は起爆薬として雷管や信管に使われた。 コトバンクへリンクを張ってます。窒化鉛は誤りでアジ化鉛が正解 となっています。 |
防空壕 ウキペディアへリンクしました。 |