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軍都豊橋を見学 2019.11.9

 現在の愛知大学は戦前陸軍十五師団本部が置かれた場所
 まだまだ当時の面影を残す建物がいくつか残っております。
 豊川平和公園ガイド研修で見学させてもらいました。


 将校集会所

 集会所の廊下
 
 南側からの集会所

 記念の松もあります。


 皇族の陸軍大将お手植えの松(昭和天皇の皇后の父)

 昭和天皇お手植えの松(皇太子時代の大正14年)

 第15師団司令部庁舎
  師団は1万から2万の兵隊が所属していましたので、立派な姿で残ってます。
   現在は愛知大学記念館となっています。見学可能です。


 流石に手をかけてあります。

  玄関にもシャンデリア
 
 階段も重厚な作りです。少し曲げて作られてます。
 

第15師団長官舎(現在は使用していませんが愛知大学公館となってます。

豊橋市指定文化財(現在使われてしません。)

時々見学会があるそうです。是非中を見学したいものです。

 
 立派な門も残ってます。
 
 正面入り口 師団長はここから白馬で通ったそうです。
    
   レセプションルーム?                     
     
   併設されている和風の使用人用建物(傷みがひどい)

愛知大学公館の案内板 (豊橋市指定有形文化財)

 
 このまま朽ちてしまってはもったいないので、同級生の社長に使って!
 と連絡しましたがどうなるのでしょうか?

 騎兵16連隊記念碑 

   
 

  
  古い門もありました。

 伊古部試射場跡(現在伊古部青少年自然の家) 

 
 手前はキャンプファイアー会場、
 奥の建物が海軍工廠試射場の弾丸倉庫

豊川海軍工廠からここまで試射に来ていました。


 この倉庫も80年前の姿を残してました。

 これは青少年用に寄付された特大地球儀

 最後は豊橋海軍航空隊基地跡の大崎島へ
 現在は全体がトピーの工場となっており入れませんでした。 

 
 埋め立て時の護岸が残ってます。

 

 大崎雑感 (60年も前の話です。)

 大崎の海岸が埋め立てられる前は良い釣り場でした。兄貴に連れられて何回も船釣りに行きました。
 せいご、かれい、めごち、時には小鯛も釣れました。餌はごかいのデッカイの(名前は忘れた)で、
 エサが無くなれば船を瀬に付けて掘った。あの頃の三河湾は魚介類は豊かだった。以降に埋め立
 てが進み、高度成長と相まって河川が汚れ、その汚れが三河湾へと流れた。
 昭和46年頃に三河湾の魚が大量に死んで浜辺に打ち上げられた。それからの三河湾は語るにも
 淋しい状況になってしまった。昔の豊かな三河湾を知る者には、淋しい三河湾だけが残っている。