2018.12.22修正
豊川工廠爆撃のB29は南太平洋の基地から早朝出撃して、尾鷲近辺で集合
して豊川を目指しました。航跡を印して爆撃ルートを確認して見ました。
聞くだけでは分からないことが見えるようになりました。
語り継ぎガイドの皆さんも一度試してみて下さい。
戦前の日本と太平洋の委任統治領
太平洋の島が米軍に占領されB29の発信基地となった。
B29出撃諸島
日本の委任統治領だった南太平洋のサイパン、グアムから出撃した。
B29航跡を図示して考えました。航跡は上空5000mを想定しまし
た。尾鷲沖にB29とP51が集合し、松坂上空で方角を豊川工廠
へと変更しています。変更地点から工廠まで約70㌔で、爆撃開始
まで13分となっいますので時速324㌔程度となります。
工廠幹部は松阪までB29の進行方向を聞き、「名古屋方面」と判断
したと記録にありました。松阪で方向転換したB29を知多半島上空
で確認したのは10時6分ですので、爆撃開始まで7分程度の猶予し
かありません。
松阪での方向転換が工廠長や幹部に伝わった時間が分かりません
が、豊川方面ではないの予断で退避命令が遅きに失したと言われ
ても仕方がありません。工廠北門事件では清水工廠長の話が記録
されています。そこには空襲警報で避難した学徒を内規を無視して
職場に戻し、「俺はヘマはしない」と語っています。最後は「大ヘマ」
をして2500人以上の死者と負傷者1万人以上を出していることを考
えれば工廠長の責任は重大だと思いますがどうでしょうか?
工廠への爆撃角度
北側1.2㌔ 西側1.2㌔
北西から南東まで斜めに図ると約2.0㌔巾となる。
現在の自衛隊部分が後から光学部として継ぎ足された部分。
豊川工廠の正方形+台形の形状から斜め角度からの爆弾投下が
最善と判断したのではないかと思いました。この角度であれば目標
の巾が2㌔になりますから、より爆弾投下の目標が広がります。
南方からですと工廠の東西1.5㌔巾になるので、綿密な準備をしてい
た米軍だから、より効果的な方向を採用したのではないか?
爆弾投下位置
工廠到達前何㌔で500ポンド爆弾を落下させたのでしょうか?
豊川海軍工廠の記録によると2~3㌔程度手前となっています。
2㌔となりますと現在の国道1号線位置ですが、当時は松並木の
旧東海道しかありません。目視でどこの位置を確認して落下させ
たのでしょうか?精密な爆撃をしていますので、どのように確認した
のか知りたいものです。
B29の工廠空爆の時系列
松阪上空10時(314航空団)
10時6分東海軍管区発令「120機以上の爆撃機豊川工廠へ」
工廠本部の警報発令、学徒退避命令の時間は不明となっています。
工廠爆撃第一波 10時13分(314航空団-1)
松阪上空から爆撃まで13分
爆撃第二波 第一波からは6分の間隔が開いていた。
この第二波の爆撃で続木少将は爆死した。
御津駅周辺への誤爆位置
この誤爆は最初では無く、中間のB29でした。
三河湾の上空で間違えて落としたと思われます。
米軍資料の豊川大空襲
B29機能等
P51ムスタング戦闘機
機銃で掃射した弾が胴に当たっても滑ってしまったそうです。
豊川海軍工廠の拡張状況
爆撃時間等参考図書