南無阿弥陀仏
    (意味は阿弥陀仏に全て託します。)
    (日蓮宗ではお題目に全て託します。)

   青春時代に購入した本に「歎異鈔」がある。
   何冊か購入したが、ほとんどが積読となってしまった。
   高校時代は私の精神彷徨の時代でもあり、哲学書も新城の
   愛新堂で買わせていただいた。
   70余年も生きてきた年月を振り返り、今まさに地獄への
   準備開始すべき歳と思いつつ。このページを作る。
   我が家は代々石川県に住んでいたので、浄土真宗大谷派の
   信徒として名を連ねている。
   しかし、宗教を学べば学ぶほど寺院にもお宮にも他宗教にも
   意義も意味も感じない。宗教は本人の心の中に有り、
   伽藍にも壮大な教会にも存在しない。私の宗教観はただ一つ
   「自律した宗教観を持つ」こと。「死生観を持つ」ことだ。
   高校時代に読み解いた「南無阿弥陀仏」は睡眠音楽として
   利用している。
   ここでは、私の考えるこの「世から消える時」を思索して見た。

  
お葬式
  
この日本ではお葬式に多大の費用がかかる。
  葬儀会社への費用
    死者運搬費
    死者の衣
    遺影
    棺桶 (燃やしてしまうがピンからキリまで)
    骨壺
    お通夜の食費
    会場費(祭壇含む)
    お寺へのお布施
    火葬費用
    香典返し
    初七日食費
  最低ラインが150万と聞いている。
  本当にこの世に死者を送れる坊主がいるのか?
  生臭坊主と言われるごとく、葬式が商売となっていないか?

 
私の葬式(願望も含めて)
  
死ねば終わり!が私の哲学
  立派な祭壇は不要
  立派な葬式も不要
  墓も不要
  火葬場への直送が夢
  自然界の生き物に葬儀は無い
  人間も所詮自然界の生き物
  人間だけ自然界から搾取して生き
  そして自然界を搾取して死ぬ
  それを私には許せない

 
火葬場直送
  どこで命を閉じるのか?
  脳死で生きるはあり得ない
  胃瘻で生きるはあり得ない
  人工なんとかで生きるはあり得ない
  死んだ場所から火葬場へ
  安価な棺に入り
  三途の川も渡らない
  来たい友だけ花一輪、お棺に飾り
  さようなら
  流すのは中村元のユーチューブ
  見てもらうのは私のHP
  みんなの好きな音楽も流して
  明るく明るくさようなら
  みんないずれは消えゆく身
  臭いけしには線香を
  どうぞ自由におやりなさい

 
私の葬儀費用
    死者運搬費
    
死者の衣(不要)
    遺影
(そこらの残った顔写真)
    棺桶
 (燃やしてしまうのでダンボール)
    
骨壺(不要)
    お通夜の食費
    会場費(火葬場or家族葬部屋)
    
お寺へのお布施(不要)
    火葬費用
    
香典返し(不要)
    
初七日食費(不要)

  追加と補正は後日に
  2019.9.15 記