TOPへ  
  戻る 

  
わしゃがの友達編

 @ サミゾチカラさん A 故村瀬輝雄さん B 故西牟田裕祥先生 

 C 元三重生協理事長中西博人さん、現テンポスホールディングス社長森下篤史さん、現豊川ボラ連会長の私
  

 @ サミゾチカラさん 最近ではTVや新聞、ラジオで有名になってますが・・・

  琺瑯看板コレクター日本一を称する男「サミゾチカラ」さん。豊川自然を守る会結成からのお友達で40年にもなる。
  自由人で組織に縛られることを嫌い、ボランテイア活動も一人で続けている。児童施設の支援活動をずーーと
  続けており、天皇陛下より緑樹褒章をもらっている。
  研究所は、豊川インター前のドライブインヤマサのすく北にあるモスバガーの駐車場から南側の階段を降りて
  左に行き地下道を過ぎればすぐ。見学は無料、ただし不在が多いので注意。  

     
  琺瑯看板研究所入り口にて館長   研究所2階へ上る階段もビッシリ   これが研究所本館(館長の自宅)
     
  研究所二階(倉庫のように置いてある)   研究所玄関(とにかく看板だらけ)   現在は特別展はやってません。
     
  佐溝稲荷?の参道を直してます。3.19  研究所の庭、と言うよりオブジェ会場のよう  研究所の道祖神?


 A 村瀬 輝雄さん

 元自衛隊、元切手販売、元会社員・・詳細は知らないが、とにかく芸術家だった。トコトンお金と時間を使い展示会を札木画廊で開いた。
 石仏や御油・赤坂宿写真、手織りも自分で行い、エンピツ画もやり、下の写真のあかり展では「新作あんどん」を並べた。それを、惜し
 げもなく見学者にタダで配った。太っ腹で、繊細で、マスコミ嫌いな人だった。全てに超一流だったと思っている。
 3年程前に四国の老人ホームへ入所され、散歩に出かけて行方不明になり、6カ月後に雑木林で白骨となり発見されたと聞いた。
 村瀬さんとは、私が「姫街道の自然と史跡を守る会」活動始めた時に知り合い、真夏に姫街道を御油から静岡の見附宿まで一緒
 に歩いた仲だった。


  見事な色!全て自分でコツコツ作ったもの。

  あかり展正面(豊橋札木画廊)

  平面から全体を



 

 囲炉裏と変形畳も特注品です。
 遺影は奥様。

 あかりに凝って見えました。
 裏の障子も三角に拘って作った。
 
 この発想がゲージツ家だった。

 村瀬宅二階。このタンスには手織りが沢山
 しまってあった。

 あかり展で残したもの、残ったものが並べら
 れていた。友ももらって帰った。
 
 作業場兼寝室兼居間

 二階の窓の色彩はゲージツ的と自我自讃
 してみえた。!

 村瀬さん宅正面
 とにかく全てに凝ってみえた。
 
      

 調度品にもこだわってみえた。

 藤蔓も名産地から購入していた。 
 
 ただ一枚あった村瀬さんの写真。


 B 西牟田 裕祥先生

 広島・名古屋・豊橋とろう学校畑を歩んでみえた。広島では口話中心での指導方針の頃、生徒から手話を学んだという稀有な先生。
 友達と言うよりは、私の手話の世界では「師匠」。昭和48年頃に聞こえない友の家で出会い、以後「愛知県手話通訳研究会」の結成、
 ろうあ問題の現場への同行、全国手話通訳研究集会等でとにかく大変にお世話になった。
 先生に出会わなければ、私と手話との付き合いもこれまで続かなかったと思う。先生は常に「ろうあ問題」、「ろうあ運動」を口癖として
 いた。先生はアウトロー的立場で教育現場に立ち、名古屋ろう学校時代には「校長排斥運動」に関わったと言ってみえた。ろう学校
 退職後もろう協会支援活動を行いながら、作陶に挑戦し、スケッチ集として「スケッチの旅」を自費出版された。
 お世話になった西牟田先生も数年前に82歳で亡くなられた。
 先生の葬儀で喪主が長男「誠さん」と聞き驚いた。偶然か、私の長男も誠だった。先生も「誠」が好きだったのか?

 先生の人となりのを知っていただくために「スケッチの旅」の絵を転載させていただきます。

     
     



 C 高校時代16歳の記念碑

    16歳の春、高校の教室で落書きした記念碑
    左から元三重生協理事長中西博人さん、現テンポスホールディングス社長森下篤史さん、
    左の友と肩書を合わせる為に、元全国手話通訳問題研究会組織部長(現豊川ボラ連会長)てなことで。
    高校3年間は勉強をせずに、すぐ近くの豊川(トヨガワ)桜淵でボート漕ぎばかりしていた。
    3年生の時は同級生と「宗教論争」に明け暮れた。話し負けないように本を徹夜!で読み、猛勉強をした。
    折伏経典を論戦相手から借りて読破し、弱点を研究した。お陰で宗教論争で負ける気はしない。
    このディペートが私の人生に役立っている。5教科はまるっきしダメだったが、良き共に恵まれた幸福な
    高校時代だった。サンキュー高校時代!

   

   高校2年春の遠足で登った烏帽子岩へ、正月に連れて行ったから
   今でも「こんなとこ連れて行きゃがって」と言われている。
             テンポス森下社長  私  トヨタOB鈴木くん
   
 
   正月の鳳来湖(山肌は緑で鬱蒼としている)
   
 
   高校2年の遠足で登った当時の鳳来湖(宇連ダム湖)
   完工後短いので手前は岩肌が露出している。
   この時から「人生最高の眺め」で秘蔵の岩となっている。