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 豊川の大水   に備えましょう

 2011年9月の大水の写真

   広島で崖崩れで大騒ぎとなっています。最近の降雨は尋常ではない。いつ、どこで、何が置きても不思議では無くなりました。
  広島でも、「過去の土地の歴史をしっかり調べておくことが大切」と言われています。
  我が故郷はどうだったのか、郷土史探索に関心が私が少し調べたことと、2011年の大水の写真を含めて報告します。

  豊川(トヨガワと読みます。市になるとトヨカワシとなります)
 
   豊川は未だ霞堤が4箇所残っており、豊川の水量が増加すると霞堤地域に水が流れ込み、下流の洪水を防ぐようになっています。
  日本三大放水路と言われる「豊川放水路」が、昭和40年に完成して以降は洪水は激減していますが、まだ霞堤の完全締め切りは
  出来ていません。

  明治時代の洪水

   明治の頃は堤防も低かったので、明治3、8、9、22、26、29、31、37、44年と何度も堤防が決壊して、下郷地区(松原・豊津・
  橋尾・賀茂・二葉・三上・当古・三ツ橋・犬之子・柑子・行明・大村・下地)に大きな被害をもたらしている。
  現在の堤防はしっかりしているとは言え、最近の想定外と言われる降雨量であれば、堤防も放水路も万全とは言えない。
  常日頃から、備える(何ができるかと思いますが)以外にありません。
  私の義母は当古の出身だが、水が出ると「肥溜め」をかついで堤防へ上がったそうだ。糞尿が自宅に散らばると困るからだと思うが
  これも一つの知恵だったか。当古に住む友人も大水が出たと聞くと、直ぐに一階の畳とか物は二階へ上げたそうだ。
  簡単に二階へ持ち上げれる物しか一階には無かったらしい。水が引けば直ぐに、普通の暮らしに復帰できた。ライフラインの複雑な
  現代ではそう簡単には復帰できない。一階には電気機器も多く、物にあふれているから、相当の期間が必要で被害も甚大だ。
  常の「備え」は大切だ。

2011年9月の豊川


 豊川本流と放水路の堰にて(当古橋方面) 2011年9月
 

 後日、左と同一場所にて
 

 豊川放水路分流堰

  昭和44年の金沢堤防の決壊時の水位は直ぐ上の黄色線

 凄い勢いで放水路へ流れて行く

 通常時の堰は静かです 

  豊川の水位は国道151の路面を超えた(江島駅下)
 
 これは通常の姿

 蕎麦屋の駐車場から手を伸ばせば水面に届く

  豊川が湖のようになりました(正面は吉祥山、左写真の位置から)

  東名高速下の豊川

 江島橋下のゲートボール場は水の下  

豊川の歴史(参考 豊川史話、宝飯郡史)
  1497年  川筋変わる
  1498年  明応の大地震 (浜名湖が外海と繋がる) ※南海、東南海、東海三連動地震
  1605年  南海、東南海、東海三連動地震
  1622年  井の島村神社流失
  1666年  川筋変わる
  1680年  麻生田村全戸移転希望するも豊河村が拒絶
  1691年  橋尾井堰切れ
  1693年  暮川で決潰
  1707年  南海、東南海、東海三連動地震
  1715年  橋尾で決潰
  1734年  楽之筒で決潰
  1854年  南海、東南海、東海三連動地震
  明治3年  大洪水
         この間何度も決潰あり(下段詳細を見て下さい)
  明治44年 下地、行明等で決潰
  1944年  東南海地震
  1946年  南海地震  ※東海地震は2014.9現在未
  昭和28年 13号台風
  昭和34年 伊勢湾台風 (沢山の神社社殿が倒木により壊れる。砥鹿神社拝殿も壊れた。)
  昭和44年 台風7号 金沢堤決潰

2011年9月の佐奈川増水

昭和44年の増水では、堤防上から手を伸ばせば水面に届く状況で、小坂井では堤防決壊か!と大騒ぎになった記憶がある。
2011年の時は堤防から手を伸ばしても届かなかったので、まだ大丈夫と安心していた。
戦前の佐奈川はこの辺りで川幅は1.5間しかなく、水が溢れるのは日常だったようで、海軍工廠建設関連で佐奈川の大改修を行ったお陰で
水害は減って、住宅街になりました。ただし、想定外の降雨量であれば水が溢れるか、下流部で決壊の危険はあります。


 金屋橋陸橋より北方面 

 赤代橋より 

 通常は静かな佐奈川です 
 

 朝靄の桜(イオン横)
 

 昔の佐奈川は金屋橋付近で川幅2.7bで、小坂井の伊奈で7bと少しです。今は50b位かな?
狭いのでよく氾濫していた。江戸末期には豊川稲荷正門付近で7尺水に浸かったという記録があるそうです。

 明治期の豊川洪水堤切状況 (豊川史話より)

 下地
大村 
行明 

子 

犬之子 
三ツ橋  当古 三上  二葉  賀茂  橋尾  豊津  松原  月日  年号  水量 
                        明治3
                         切   明治8  
                    切        明治9  

切 

         
切 
切    切        明治22   
切 
切 
        切 
 
切 
切 
切        明治26  C
           
 
切            明治29   
切 
切 
   
切 
  切            明治31 
       
二カ所 
二カ所  二カ所   
切 
切        明治37   A
切                  明治44   

明治9年から堤防の改修工事が始まっているそうですが、土木工事も貧弱だったようで、
その後も、決壊は至る所で発生している。とにかく、歴史を知っての備えが大切です。